2008/6/22 日曜日
けいはんな市民雑学大学第四回講座 終了報告
1.日 時 : 6月21日(土) 14:00~16:00
2.会 場 : イオン高の原ショッピングセンター 4階 こすもすホール
3.市民教授 : 兎本 恵宥さん (内藤湖南先生顕彰会副会長)
講 座 名 : 「うましところよ その みかの原」
~恭仁山荘の内藤湖南先生~
※内藤湖南とは⇒邪馬台国の畿内説を唱えた東洋史学者
第四回講義が盛大に開催されました。
西村学長の感想を記載します。
内藤湖南とは、戦前の京都帝国大学の東洋史の教授だった人だが、秋田師範の卒業ながら、朝日新聞記者を経て京都帝大教授になった異色の人で、引退後、「隠遁地」を「みかの原」に定め、7年ほど住んで1934年(昭和9年)6月26日に亡くなるまでそこ(加茂町、恭仁京跡)に住んだ。
そこは、広く言えば「けいはんな学研都市」域なので、我々「市民雑学大学」として取り上げたのだ。
兎本さんのお話はたんたんとしたものだが、具体的事実に裏づけられているので説得性があると感じた。
内藤湖南は、本名が内藤虎次郎、秋田の十和田湖の南(現・鹿角市)で生まれ育ったので「湖南」と号したという。専門の東洋史(中国史、当時は支那史)の業績では、時代区分を論じて、宋代以降を近世としたのがユニーク。中国史を古代から近代まで一人で書いたのも「凄い」と思う。
日本史も中国史と関連があるからと、耶馬台国=畿内説を初めて提起し、東京帝大の白鳥庫吉の「九州説」と論争を始めたことでも有名、それが現代にいたっている。
京都帝大を辞した時、中国の故事にならい何処かに隠遁しようとしたが、故郷の秋田は余りに遠い。そこで、歴史家として近くの古代史にゆかりのある、奈良、明日香なども物色したが適当な所が見出せず、少し京都に近づくが、恭仁京のあった加茂町の「みかの原」に居を定めたようだ。
日本史に関して他に「応仁の乱以降の歴史を理解すればそれでよい。」との発言は有名らしい。





